2006.4.29〜5.1 青森探検その1 小川原湖への旅

2006年4月、晴れて自由の身となった。
しばらくは、地元青森の探検を中心にして目的とする「日本全国周遊」の準備をすることにしたい。
まだ県内で行っていなかった、八戸、三沢、小川原湖方面への「ぶらり旅」をしてみることにした。

4月29日(土)みどりの日
ゴールデンウィーク初日であるが自由人には無関係だ。
休日を選んだ理由はないのだが、これも成り行きということで、10時出発。
青森〜浅虫温泉〜平内〜野辺地、国道4号線を順調に走る。
途中、気になっていた場所に立ち寄ることにした。
上北郡東北町「日本中央の碑」つぼのいしぶみ保存館だ。
かつて、畑の中の寂れた祠に祀られていた頃に来たことはあるのだが、
「日本中央の碑歴史公園」として整備されてからは初めてである。

 

立派な建物の中に鎮座するジャガイモによく似た石柱が、1949年(昭和24年)に発見された問題の
「つぼのいしぶみ」と伝承されている「石隗」である。
確かに「日本中央」と浅く彫られている。
館内に置かれたパンフレット及び地元東北町文化財保護審議会 田中寿明氏の解説文によると、
「つぼのいしぶみ伝説」は、9世紀初頭、大和朝廷による蝦夷征討が北上し、坂上田村麻呂征夷大将軍が陸奥再奥の地、都母(つも、つぼ、現在この地域は、坪と称されている)の地に、大きな石の石面に弓の筈で「日本中央」と彫り建立したといわれているそうだ。
ただし、田村麻呂は史実によると岩手県盛岡市近辺の志波城までと言われており、次の征夷大将軍である分屋綿麻呂ではないかという説もあるという。(綿麻呂は、811年都母村に進撃している)

「つぼのいしぶみ」は、古くから歌に詠まれており、
みちのくの いはでしのぶは えぞ知らぬ かきつくしてよ つぼのいしぶみ(新古今集・源 頼朝)
みちのくの 奥ゆかしくぞおもほゆる つぼのいしぶみ 外の浜風(山家集 西行法師)
請いかば 遠からめやは陸奥の 心つくしの つぼのいしぶみ(和泉式部)
などとある。

公園内には、大町桂月、金子兜太などの歌碑、句碑も設置されており、古代のロマンを忍びつつひとときを過ごすのもいいだろう。

 

征伐の対象とされた「蝦夷(えみし)」といえども、現在に続く原日本人であることは間違いのない事実であろう。
かつて北東北一帯は「日本(ひのもと)」と称されていたことは事実のようだが、この付近が「ひのもと国中央」であったなら、たぶん北海道も含む地域が「日本国」だったのか?
そしてまた、蝦夷を征伐した筈の大和朝廷が「やまと」の国名を、いつ、日本としたのだろうか?
それも「ひのもと」ではなく「にほん・にっぽん」と音読みに変えた意図はどこにあるのか?
私の脳裏には不可解の疑問符が渦を巻き始めた、、、すでに解明されていることかもしれないが、我が浅薄なる知識では答えを持ち合わせてない。
謎は謎として旅を続けることにして、つぶ丸のハンドルを握ったのである。

道の駅しちのへでランチタイム。
そばコーナーで「天玉そば」を急ぎ腹に入れたが失敗。
ネギたっぷりや山菜のトッピングもあるのはうれしいのだが、袋から出してちょっと温めるだけのソバが柔らかすぎる、量が少ない。
農家直販野菜は豊富だ、ゴボウ、ニンニクなどを買って八戸に向かって出発。

ナビまかせで「八食センター」到着、噂には聞いていたfが初訪問。
一回りしてみると、魚介だけでなく野菜、乾物、加工食品、酒などの店も多い。
魚介中心の青森駅前市場とはちょっと様子が違う。

 

今夜の酒の肴に適当な刺身を探すが、青森駅前市場に比べるとお値段が高いようだ。
おまけに店の愛想がいまいち、、、値切ってみると、けんもほろろ「ダメっ!」と全身で語ってるようですなあ。マグロのブツ、500円也を買って、氷を催促しておまけさせる。やれやれ!

三沢方面に道を戻る、今夜の停泊地を考えつつ、道の駅みさわを目指す。
ここは、道の駅と「斗南藩記念館甲村」が併設されている。
斗南藩記念館甲村の方が駐車場も広くゆったりとしているのだが、トイレは時間外には施錠される。六十九種草堂と名付けられた、斗南藩士廣澤安任(ひろさわやすとう)が困難を乗り越え開墾と西洋式牧畜をこの地にもたらした苦労のあとを再現している。
明治維新後、会津藩が京都守護職でありながら戊辰戦争後朝敵として下北に斗南藩として存続したが、厳しい北の大地での生活は容易ではなかったろう。
しかし、車旅の途中に広がる広大な農地と豊かな産物は、こういった先人たちのおかげなのであろう。
先人の苦労に感謝しつつ、食糧の自給を蔑ろにすべきでないと改めて考えたのです。

案内所で、ラムサール条約国際登録湿地・仏沼を教えてもらい行ってみることにした。
近隣の温泉情報、小耳に挟んだ世界初の太平洋横断飛行を達成した、ミスビードル号記念碑なども寄ってみよう、宿泊地も探さねばならない、、、忙しい午後になった。

聞いた道順で、わかりにくいという看板を探す、、、あった!
んん、、、ん!細い砂利道だ。すれ違いはちょっと無理かなという農道だ。
ということで、西口から入って東口に抜けると言っていたんだね。
しばらく走ると看板と駐車スペースがあった。

 

看板の隣に鉄パイプで出来た物見台がある、ここに上って観察するんだ。
上ってみると茫漠とした芦の原が広がっているが、その先は農場になっているようだ。
確かに、数種類の鳥のさえずりが聞こえてくる。
もともとは仏沼という名前のとおりの沼地を干拓して湿原になった。
そこに、オオセッカなど鳥の聖域になったということらしい。
人手が入って鳥の聖域ができた、、、なんとも、干拓、湿地化、水鳥繁殖、、、
ラムサール条約、水田化の中止。だったのか?
見学を終えて砂利道を東口に向かう。野焼きで使ったのか、オイル缶などが放置されている。
国道338号線に出て、淋代海岸を目指す、ナビには登録されていないので略地図を見ながら探すが見あたらない。
えい、ままよと海岸方向に車を進めるが違うらしい、、歩いていた母子連れに道を尋ねると行き過ぎだった。
戻って探すと、これまた目立たない看板が出ていた。
道なりに海岸方向に進むと、あった!赤い単発単葉機を模った記念碑だ。

 

1931年10月に、この海岸を飛び立った、ミス・ビードル号は、41時間10分後に米国ワシントン州ウェナッチ地区に着陸し、世界初の太平洋無着陸横断飛行に成功したということだ。
この冒険飛行に対して、当時の日本人は滑走路としての海岸の整備や板を敷き詰めるなどの協力をしたということだが、なんで青森県のこの海岸を選んだのか?またまた、脳内の疑問符が増殖し始めていたのです。
何もない淋代海岸に風が吹いて寒い!冒険心にあふれた二人の飛行士に敬意を表しつつ、小さな冒険心で「つぶ丸」に搭乗したのでした。

近くにあるはずの「六川目温泉」を目指して、、はっきりわかる看板を発見して左折。
やれやれ一風呂浴びて温まろう、期待に満ちて温泉駐車場に入る、、、れれれ!
様子が変だ、近づいてみると玄関に小さな張り紙「機械の故障のため休業します」
まあ、こんなこともあるよね、次を探せばいい。なにせ、この辺も温泉王国だ。
パンフレットに数件の温泉が記載されているが、宿泊地も探す時間なので小川原湖畔に近くにある、「三沢市民の森」にも温泉があるようなので行ってみる。
広い駐車場にクルマがいっぱいだ、出入りしている人たちは「温泉グッズ」を持参しているので間違いない。
老人福祉センターという看板にはやや抵抗はあるが入館する。入浴券は自販機でということで、市内の方、100円。市外の方、150円。とある、正直者なので、150円券を購入し窓口に提出しつつ「市内・市外は証明書がいるんですか?」「いいえ、自己申告です」「・・・正直者でよかったね」とわからんことを言いつつ浴場に。
よく温まるいい温泉でした!

隣接する、オートキャンプ場を利用すべく現地へ、、、誰もいない、ゲートが閉まっている。
何の表示もないが、たぶんオープンは5月1日からなのだろう、まあ次を探してダメなら道の駅にしよう、ということで小川原湖湖畔に回り込む。
小川原湖畔キャンプ場も管理棟がクローズしていたが数組がキャンプをしている。
一人で焚き火をしていたおっさんがいたので車を停めて聞いてみたが、、、、
日本人でなかった!米軍三沢基地の軍人か関係者だろうか。
声をかけてしまったので、やむなくつたない英語と日本語で語った。
「このキャンプ場はどこで申し込むのか?」「利用料金はいくら?」
「オフィスのスタッフは6時で帰っちゃったよ」
「2000円だが、明日の朝払えばいいんじゃないか」「さんきゅー!」
ということだがテントを張るわけではないし、、、と、つぶ丸を進める。
数棟のキャビンの隣に駐車場があったので停車する。
この駐車場をお借りしよう、水道も、トイレも使いませんので悪しからず。

八食センターで買った「マグロブツ」をメインに、新タマネギサラダ、細ネギの卵とじなどを肴にして発泡酒をあける。続いてウイスキーのお湯割りだ、夜も更けると徐々に冷えてくる、エアコンだけでは足下が寒い。
特別装備の「灯油ファンヒータ」を点火しつつ換気ファンも作動させて室温を25℃まで上げる。
マグロブツの悪巧み?が発覚する、表面はきれいな赤身でうまかったが、その下はスジだらけ、ビン長の切れっ端まで混入している。八食センターもこれではリピーターはいないだろう。
100円スキレットに、発泡酒の残りと、鰹だし、醤油少々を煮立たせ、スジだらけマグロを煮付けて食べる。(煮るとスジがおいしくなるんです)
Jazzのサウンドも心地よく小雨に煙る小川原湖の夜は更けたのでした。

4月30日(日)

今日のメインは、寺山修司記念館
ほぼ開館(9:00〜17:00)と同時に入館した。

 

懐かしくもあり、すれ違った時代の波音が聞こえた。
館内は、寺山修司の小学生時代からの遺筆が数多く展示されている。
青森高校の秀才であった寺山が演劇という舞台で爆発し「天井桟敷」で大きく開花した。
そのまま若くして47歳で病死する。
作品のイメージを限りなく工夫された記念館だった。
ほぼ10歳若い私が、青年期に出会うことがなく来てしまったことが「よかったのか、わるかったのか」はどちらともいえない。(間接的に歌やポスターに影響はされていたが)
彼の演劇の世界に踏み込んでいたら、たぶん私の人生は違ったものになっていただろうと想像できるが、来た道を振り返ることのなかった寺山と同じように「振り返るな!」と自分に語ったのでした。

 

文学碑のある松林に、タラの芽が萌えていた。摘んでかじると、青くほろ苦い時代の味がしみじみと。
「マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」
22歳の多感な寺山修司の短歌だが、混迷の時代に誇るべき国家とは歌えなかった悲しみが伝わる。私もそうだが、この時代に、白州次郎さんの偉業を知っていたら、紹介されていたら、生き方が変わっていた可能性が高い。が、寺山の芸術が生まれてなかったとしたら、それも悲しい。

腹が減った昼飯にしよう。道の駅おがわら湖に行ってみる。
小川原湖湖畔ではないが、湖遊館と名付けられた新しいきれいな駅である。
本日は、手持ちのカップラーメンを活かして軽めにと考えたが、ついおにぎりを買ってしまった。
ラーメンには、タラの芽、にんにく、野蒜、チャボの卵など地元食材をトッピングして「春のみちのくラーメン」とした。

 

さて食後はどうするか?道の駅で仕入れたパンフレットの中に、ここ東北町の温泉案内があった、このあたりは温泉が豊富で、6軒の温泉が紹介されている。
どこもリーズナブルで200円から270円だ。とりあえず、つぶ丸の空腹を満たすためGSで給油。ガソリンの値上げが痛いが(130円/L)仕方がない。
ゴミの処分をお願いしたついでに、お薦めの温泉をクエスチョンしたが、、、、しばらく考えた末に、「まつのゆがいいかな」真剣に考えていただいたことに感謝して出発。
天然温泉「まつのゆ」270円、弱アルカリ単純泉だが源泉掛け流し。露天やミストサウナもあって、のんびり昼風呂を楽しんで、汗と共に毒出しをしました。

湯上がりに冷たい風も心地よく、地元スーパーで地場産の「馬刺し」などを買ったあと再び小川原湖湖畔に戻る。
小川原湖さくらまつりの看板はあるものの「千本桜」には花一つない。
それでも寒風の中でバーベキューに興じる元気な団体もいたりしてお気の毒だ。
湖畔の広場には、悲しい伝説をもとにした、玉代姫・勝代姫の像が建てられている。
十和田湖の乙女の像を意識したのか?現代的で美しい姉妹の裸像である。
1300年ほどの昔に、世の無常を儚んで都から行方不明になった父を探して、諸国をめぐりこの地で父の死を知った姉妹が悲しみのあまり身を投じた二つの沼、妹、勝代姫が身を沈めたのが小川原湖だとか。

 

湖畔の駐車場は、カヌーを楽しんだグループが帰って静かになる。
今夜はここに泊まるか?道の駅にするか?
テレビをつけて、しばしゴルフ中継を楽しんでいるとバイクの騒音だ。
やれやれ、地元の若い連中が走り回って、どうやら奴らのたまり場のようだ。
安全第一、道の駅泊に決定し移動する。

道の駅おがわら湖は駐車場泊オススメ駅だ。
・道路の対面に立派な「駐在所」があって安全面でも安心できる。
・駐車場が広い。トイレがきれいで、手洗いの水の出も非常によろしい。
・所在地の町内に、6つも日帰り天然温泉があって、しかも安い(200円〜270円)
(道の駅に案内地図・温泉紹介パンフがある)
広い駐車場の一番端に停めて、発電機側を広大な空き地方向にして、周囲のご迷惑にならないことをチェックする。
発電機をスタートさせれば、つぶ丸はオール電化のミニ住宅と化して快適な夜が過ごせるのだ。
まずは地元産、馬刺しをニンニク醤油で、新タマネギと新ゴボウのサラダ、豆腐を野蒜と卵とじ鍋仕立て。取りあえず、この三品で発泡酒の缶を開け、寺山修司に乾杯!
今夜も、Jazzを聴きながらバッカス様と仲良くなったのでした。

 

強い風の音で目が覚めた。午前4時、つぶ丸は風が苦手だ。
陽が昇ると上昇気流で風が強くなるので早々に出発する。
県道8号線を北上、時折深い霧が流れる。
東北町、ナビの地名に見覚えのある「石文」の表示、何だっけ?そうだ「日本中央の碑」に関係のある地名だ。
そのとき、この看板が現れた!「日本中央の碑発見地」疎林と牧草地が広がる道路際の空き地にロープが張ってあるだけなのだが、、、古代のロマンを秘めた地名、石文(いしぶみ)だ。
坪村に建てられていた「大石」を、田村麻呂は悪鬼を皆殺しにしたため無用のものとして七尺掘って埋めさせたという。坪村からここまで、人数千人で石を引き運んだ運んだことが、千曳神社の伝説となっているそうである。その地名が残る、千曳(ちびき)もこの先だった。
さらに進んで海が見えると、野辺地。
まさに、野の辺の地、この先は海しかないと古代人は考えたのだろう。

つぶ丸が走る国道4号線も、海沿いを走る。
時折、焼き魚の匂いや、煮魚の匂いがしてくる。
旅館の朝食準備がすすんでいるんだろうな。
思ったほどの強風にも遭わず、道路も空いていた。
午前5時30分自宅到着、寝ていたカミさんを起こして旅は終わった。