アルゴンキンの虹と風
- 血まみれ・シーザーと塩昆布 -

■旅立ち:1997.8.18
成田国際空港を午後の出発であることから、朝の慌ただしさはあまり感じない。
今回の旅は、街とアウトドアと劇場と、おまけにゴルフプレイまである、
遊びのてんこ盛りなのである。
必然的に衣類を中心とした、旅の邪魔物と行動の折り合いをどう着けていくかが課題となって
昨夜まで奮闘したのである。
サムソナイトを愛車に積み込み、いざ出発である。10分ほど走ったあたりで、
「ジャケット持ってこなくていいの?」と妻の一言に「どきっ!」なのである。
「なんで言ってくれなかったの!」「あなたはいつも完璧なんでしょ!」
車内で言い合いをしても始まらない・・・私が近ごろ惚け気味であることが露呈してしまった・・・
と言うより、毒ガスから逃れることに気を取られてしまっただけなのである。
ジャケットは無くても何とかなるのだが「お守り」にしている水晶珠をポケット
に入れたまま 掛けておいたジャケットを持ち出すのを忘れてしまったのである。
お守りさえ入れて無ければ戻る必要もなかったのだが、縁起物を忘れると気持ちが悪い。
ましてや、8月に入って旅客機が落ちているのである。
航空事故は続くのが定説となっている。時間に余裕もあることから、Uターンする。
引き返してからが大変なのである、旅に出るときはバルサンを焚くことが我が家の習慣なのである。
玄関から数メートルなのであるが、白煙に満ちた火災現場的室内にに必死の形相で飛び込む!。
ゴキブリやダニ君達もさぞや苦しかろうと感じつつジャケット奪回に成功する。
やれやれ、とは言うものの車内に広がる異臭を換気しつつ再び成田を目指す。
渋滞もなく成田到着、パーキングに車を預け空港へ余裕を持って到着したのである。
今回はカナディアン航空利用のため第1ターミナルなのだが、
JAL、ANAが占有する、 第2ターミナルに比べると施設が大分貧弱である。
荷物一時預けにぞろりとお願いし、空身でターミナル内のショップを探検する。
大韓航空付近を中心に結構込み合っている中で、
日本最後のラーメンと餃子の昼食やカナダ$への両替 (1カナダ$=95円)を済ませる。
暇潰し本を買いたかったのだが、本屋の品ぞろえも貧弱なのだ。
結局、本屋での収穫のないままに、コーヒーで一服の後チェックインしたのであった。
なにやら常に主翼の見える席に乗っている気がする。今回も左側主翼窓際である。
カナディアン・パシフィック社トロント直行便は古めかしい、DC−10なのである。
いかにも使い込んだ、元は取ったぞ「後は儲け!」と、
言わんばかりの雰囲気が 座席の布地やシートベルトの擦り切れが主張している。
エンジンや機体の擦り切れは無いのだろうか? 時刻表から推測すると、当日の午前中の到着便が、
午後の出発便に化けているようである。
機長以下のスタッフは交代するのだろうが、この機体は多分使い回されているんであろう。
「くわばら・くわばら」と、思わずつぶやいてしまう。
定刻に近くなっても、一向に出発の気配が無い。
どうやら荷物の積み違いがあったらしい、
窓の下で胴体内のコンテナをひっくり返して作業員が汗みどろである。
機内放送は知らんぷり、日本の航空会社とはだいぶ様子が違うのである。
カナダ政府の命令で、非常時の器具使用の説明などをおざなりにしちゃうぞ。
聞かないのは君が悪い・・・と、私には聞こえる放送などを聞いているうちに、
成田を定刻から20分遅れて離陸。
取りあえずの機内サービスは、私が水とワイン、かみさんがりんごジュースと日本茶などを頂戴する。
機内スタッフも機体と同じく超ベテラン揃い。
この飛行機と共にエイジング・・・擦り切れたんだろうね。
時計をトロント時間に合わせる。
東京17時ディナータイムである。
チキンカレー、鮨、サラダ、アップルパイ、ワイン2杯、 コーヒー、ウイスキー水割り、
で結構満足したのである。窓の外は黄昏から夜へのグラデーションがロマンチックだ。
満月が煌々と輝き翼に光を落としている。
その右側に金星が一粒の真珠のきらめきを添えて果てしなき宇宙を彩るのだ。
そんなロマンチックな宇宙を尻目に、中年のスチュワードとスチュワーデスがバタバタと酒を注ぎ、
こぼしながら行ったり来り忙しい。
便所に通う老若男女もうっとうしいが、
英語と日本語の入り交じった海外ならぬ国境外海上成層圏なのだが、
私はいつもの旅人・・・「酔っ払い」なのである。
窓外の満月の光がジュラルミンの主翼にきらめく。
が、ふと頭の中を疑問符が行き交う。
今夜は真実の十五夜か?、
はたまた地上12,000mでは月は常に満月に見えるのか?
この疑問は帰国後までツキまとったのであるが、
帰国後占い師修業中の娘に旧暦を調べてもらい、 当日が十六夜であったことが判明したのである。
また、東に向かって時間を遡ったことから、
十六夜から十五夜に限りなく接近していたことにもなっていたのである。

眠れない苦行のシートにいつしか夜が明け窓の下にカナディアンロッキーの山脈と渓谷が広がる。
絶景であるが、眠い。
やがて平原から平地へと地上の風景が徐々に人間の営みに切り開かれていく。
11時45分。眼下に広大な農地が広がり、
整然とした長方形の区切りに小さな不定形の湖や池が点在する。
が、人家は見えない。
誰が耕すのであろうか?と言いたくなるほど広々としているのである。
12時30分。五大湖の一つスペリオル湖を横切りながら朝食となる。
ベーコンオムレツ、ズッキーニトマトソース、バターライス、パン、フルーツ、コーヒー。
まあ、こんなもんだろうといった感じである。
強い日差しの眼下は再び雲海なのだ。
13時35分。
広大なヒューロン湖を渡ると、間もなくトロント空港にひょい!とばかりに到着したのである。
無事到着してジュリーとお母さんのナンシーが出迎えてくれる。
空港から一路、ロンドンにむけフリーウエイ(無料の高速道路)を飛ばす。
対向車のほとんどがライトを点灯して走っている。
そう言えば乗車時に後部シートでもシートベルトを締めるように言われたっけ。
ロンドンまで約200Km、90分位ねと言ってる矢先に渋滞らしい。
事故処理車が未舗装の路側帯を埃を巻き上げて現場に向かっていくようだ。
車線規制の指示が無くても、有るがごとき判断を順番に実行していく。
誰一人空いた車線を突っ走ったりしない。つまり、大人だ。
やがて、警官の指示で強制的に迂回させられる。
事故現場の様子を見たくても見られないのである。
迂回したカントリーロードは、広大なコーン畑が延々と続いている。
まるで北海道?である。
かわいそうに車に撥ねられた穴熊(ラクーン)が灰色の毛を風にポヨポヨとなびかせて横たわっている。
うーみゅ!南無阿弥陀佛!この地では、アーメンか。
突如、開け放った窓から強烈な異臭が!!!!!!あっあっ!臭い!くっさー!
スカンク! の、放屁なのだそうだ。
眼から涙・・・・・鼻から鼻水・・・・・
「日本では鼬という動物が・・・」
「鼬の最後屁!」などと屁較文化論を語りつつ、匂いの薄れるのを待ったのである。
■ロンドン滞在:1997.8.19
パール家の歓待を受け早めにベッドに入ったが午前3時に眼が覚めてしまった。
パール家はご主人のディック、奥様のナンシー、奥様の母上のジーン、 息子の
トーマスそして娘のジュリーである。
トーマスの婚約者のジョイスと愛犬バニーも紹介されたのだが、
旅の疲れで荷物の整理もそこそこに眠ってしまったのである。
オンタリオ州ロンドン市は落ち着いた小都市。
閑静な住宅地に建つ、パール家は土地250坪・建坪50坪位か?
平均的サラリーマン住宅(通勤は車で5分)といった趣でバックヤードにデッキテラスと
ジャグジーを備えている。
夕食後デッキテラスでビアを飲みながら語らっていると赤い小鳥カージナルが
芝生の餌場にやってくるのである。
8月とはいえ、夕方の気温はジャケットが必要な気温である。
冬は−20度にもなるらしいが、夏を楽しむデッキやジャグジーを備えてしまうのが
日本と異なる豊かさなのであろう。
本日はシェークスピアの故郷ストラッドフォード、 エイボン河付近へのピクニックだそうだが、
まるで英国!
今年の5月にはエリザベス女王もご訪問された街なのである。
トースト、ミルク、コーヒー、林檎の朝食後、ジュリーの運転でストラッドフォードに向かう。
彼女の母、ナンシーがガイドで4人のドライブである。
朝の空気がすがすがしい、郊外は北海道的であるがさらに広大である。
小一時間のドライブでストラッドフォードに到着、本家英国と瓜二つの緑豊かな街である。
エイボン河の雰囲気もそのまんま、シェークスピアシアターまで立派に建てられているのだ。
違いはカモメ・・・?
なんと、エイボン河に鴨や白鳥だけでなくカモメが獰猛に不良ぶりを発揮しているのである。
しばし散策とショッピングを楽しみ、帰路を迂回しセントメリーズに立ち寄る。
この街はこの地で産出される石づくりの美しい建物が町並みを造っている。
淡いブラウン、イエローそしてグレイの壁面の色づかいが見事である。
散策とショッピングそして少し走ってからレストランで食事を楽しむ。
日本でいうバイキング、ビュッフェスタイルの料理となんとアルゴンキン・ダークエール
(濃い褐色のビア)をメニューに発見し飲む。
しっかりした味わいながらも切れの良い爽やかなビールであった。
肉料理の味わいは肉なのであるが、野菜のパワフルな野性味に圧倒される。
日本の野菜は情けないほどひ弱であると思わざるを得ないのであった。
帰宅後やはり疲れというか、時差惚けというか、やはり眠くなる。
特に決まったスケジュールの無い自由な旅のオプションとして、昼寝を選択する。
さて、心地好い昼寝の後はもうディナータイム。
夕方6時過ぎには、ご主人のディックも腹を減らして帰宅しているのだ。
食前に、ディック手作りの「シーザー」というカクテルをジョッキですすめられる。
トマトジュースがベースだと、多分「ブラディ・マリー」だろうと、
ぐいっと飲んで吹き出しそうになる。
なんと、タバスコのむせ返る風味のとてつもない酒である。
しかしながら「うまい!」「気に入った!」瞬く間にジョッキで2杯頂戴する。
ご主人・ディックの焼くステーキやサラダ、自家製パンで腹を満たし、
東京16時的19時にゴルフレンジへ練習に行くことにした。
日本と違って、広々としたグランド的練習場は芝生から直に打てるのが魅力だ。
ディックに借りたクラブも酔っ払った勢いにはスライスもせずにで真っすぐ飛んでいく。
不思議である?。
まだ明るい20時30分帰宅し、シャワー&ビア。デッキで星を眺めながら飲むビアは格別だ。
明日は13時スタートのゴルフプレイ。腕が鳴る「シーザー」なのだ?が、ブルータスかもね。
さて、初体験のカクテル「シーザー」のレシピをディに伝授していただいた。
大きいタンブラーまたはジョッキに氷をぶち込む。
ウオッカを1/5、ウスタソース20滴、タバスコ5滴、レモンジュース30滴、
セロリソルト2振り、 そこにCLAMATOを注ぎステアして出来上がり。
なのだが、クラマトとはクラム+トマトジュース
〈蛤的二枚貝のダシ汁とトマトジュースのミックスした商品のようである〉
なのだが日本には無いだろう。
蛤的二枚貝のダシがうまさの決め手で、セロリやタバスコやウスタソースが
貝の生臭さを消して うま味だけを引き出しているようなののである。
一見トマトジュースに見えるが中身は、その名も「血まみれのシーザー」という訳で、
良く似たブラディマリーとは二味違う強烈なカクテルである。
「蜆汁」では試さないほうが良いだろう。
■ロンドン滞在:1997.8.20
今朝も3時30分に目覚めてしまった。
仕方なくベッドでザウルスをつついて会社あてのEメールの送受信をちょこまかと実行する。
市内の電話料は基本料金だけの使い放題と聞いていると安心して通信できる。
幸いなことに、Compuserve経由での接続も3回に1回はうまく接続される。
???3回に2回の接続不良の原因は一体何なのであろうか???
商売柄、気にはなるのだがカナダ的におおらかに行くことにしたのである。
2時間近くベッドに腹ばいながらザウルスしているのであるが、
かみさんは時差など関係なく良く寝ている。グローバル時代は女性の時代なのであろうか。
朝食後のひととき、頬をよぎる風が爽やかだ。
ウッドデッキに出て、コーヒーを片手にワープロを打つっていると気分は作家である。

さやさやと風に歌う
ポプラの葉づれは自然の交響曲
空気をふるわせて朝の時が静かに流れる
冷気が目覚めの浅さを突き刺し
天空を目指す高い幹がカナダの歴史を見続けてきた自信を示す
豊かなる大地と人の営み
人に自由を与えぬ天空の水と空気と太陽のもたらす自然に
心して敬虔なる感謝の気持ちをもたざるを得ない
自然は自然のままにありつづけ、時と共に変化を常態とするのだ
朝早く、山鳩が天候の崩れを語っていたが
持ち直しつつある天気を小鳥たちがそれぞれの言葉で語る
風がおおきくうねりながらよぎり、葉づれのざわめきは交響曲の終章
自然豊かな地に暮らすような旅は、人を詩人にしてしまう。
午前中を主婦でステンドグラス作家のナンシーの案内でロンドン市内を見物する。
古いものを古いままに使っているのが西洋の共通の意識だろう。
帰り道にこの街一番のデパート、シアーズに立ち寄る。
日本製商品を始めとにかくグローバルであることは間違いない。
昼食後、ジュリー、ディックとともにゴルフ場に車を飛ばす。
コースは、IRONWOOD ゴルフクラブ。日本人的発想では変わったネーミングである。
美しく整備されたゴルフ場だがクラブハウスなどは非常に簡素、
まさしくパブリックである。
二人分の料金を前払いするが、50カナダドル、4500円なのだ。
手引きカートにしたのだが、カートのハンドル部分を金を払うと貸してくれる仕組みだ。
料金の取りはぐれのない?極めて合理的なシステムではないか。
カートチャージを支払い、カートのハンドルといっても?字型の棒を渡される。
蝶ネジでカート本体に取り付け、ゴルフバッグをひょいと乗せれば出来上がりだ、
雨がぽつぽつ降り出すなかをスタートする。
ブルーティでどーか、というディックの誘いに乗ってしまったのだが、
ご婦人方のレッドティーから100ヤード近くティーグランドが離れているではないか。
私の専属通訳は遥か彼方で談笑している・・・
ゴルフ用語だけはなんとか理解できるが・・・
OK!OK!・・・ナイッショ!・・グッショ!・・もはや、やけくそ!状況でプレイ開始だが、
お互いに言葉の不自由な男同士も困ったものである。
クラブセットはディックからの借り物。
一応はメタル、スチールシャフトのセットなのだが、とにかく「堅い」。
どーしてもスライスしちゃうのだ。
縦横に流れるクリークも本物の小川である。コースにも徹底的に遊ばれてしまったのである。
スライスボールがOBしちゃったり、クリークにポチャンしたりしながら迎えた8番ホール、
前は池である。
完璧なトップオブスイング! よっしゃ!こんどこそ、ナイッショ!と思った瞬間、
"BANG!" すさまじい轟音に、アッチャ!
前組の乗用カートがバックファイヤーしたのであった。
無残にも完璧な池ポチャ、続けてもう1個。
カナダの水神様にたっぷりとボールを奉納したり、
厭になってしまうほどフロント9は打たせて戴いたのである。
トイレに寄ってバック9スタート。
ボールを4個も失くしたので、 かみさんの女性用ボールを3個頂戴し
10番ホール308ヤードのティーショット。
なんと見事に200ヤード飛んでど真ん中である。
カートでやってきた飲み物売りおばさんからカナディアンビアを買い、
ぐびりながらビシビシとダボペースながらも迎えた、15番214ヤード。
パー3のティーショットはドライバー。
狭いフェアウエイを高い弾道でグリーンを捉えナイスオン!
20ヤードを2パットで決めグッドパー!の喝采を浴びたのである。
最終ホールはWバンカーで強風アゲインスト。頭から砂をかぶりつつ7つ叩いてホールアウト。
バック9はなんとか50でまとめ、ブルーティ6,179ヤードを117で終えたのである。
ちなみに、かみさんは3番アイアンとパターが絶好調で
レッドティ4,819ヤードを115でホールアウト。
残念ながらカナダで2ポイントの敗北を喫したのであった。
自然のままのコースは、フェアウエイを栗鼠が走り回る美しい環境も報告すべき事項である。
夜、ディックの書斎でPCゴルフ。ハワイマウナケアGCで対戦したのだが、
マウスを 使ってもプッシュスライスしてしまうのは、なんとも不思議なことである。
雨の中のゴルフや、旅の疲れのせいか贅沢にも涼しさのためか風邪をひいてしまったらしい。
ノドが少々変なので早めに寝ることにさせてもらう。
■ロンドン滞在:1997.8.21
喉の痛みは若干あるものの、昨夜はシーザーも遠慮して早寝したためか体調は戻りつつある。
ビタミン剤、プロポリス、風邪薬、消化酵素などをまとめ飲みしたのも効いたのだろう。
朝食は日本では絶対に食べないレーズン入りシリアルにミルクをかけていただく。
素材の加工度が少ないだけミネラルやバイタミンが多いのではないかと考えたのである。
体の欲する物を食せよ。
とは良く言ったものである、結構うまいモノだと感じるのは風土のせいだろうか。
未だに米も醤油も欲しくはない。
今日も天候は回復しない、残念ながらナイアガラ見物は本日中止。
雨でも行きたいのだが、我々が雨の富士山に連れていかない感覚のようだ。
代わりにと、エリー湖のほとりポートスタンレイへとドライブする。
セントトーマスを抜け広大な田園地帯を行く。
時折過ぎる小さな町は本当に奇麗だ。
センスの良い店の看板以外に電柱の広告も、幟旗もなくすっきりしているためだろう。
ゴミも落ちていないことと、家と道路の間がどこでも手入れされた芝生である
ことも眼に優しいのだ。
エリー湖はまるで海。
風が吹き抜ける浜辺はカモメも飛ぼうとはしない寂しい天候なのである。
ポートスタンレイのフィッシュ・マーケットを見学。
エリー湖産の淡水大型魚、日本で言えば鯉の類をさばいている最中である。
腹から開き、腹骨を最初からすき取り、中骨と内蔵を一遍に外し捨てる。
つまり、三枚に柵取りした上身以外は使うつもりはないらしい。
アンティークショップなども覗き、ひやかししつつ、梟コレクションの品数を増やしつつ戻る。
カントリーロードの途中の農場直売店的に立ち寄る。農産物、果実は実に豊かだ。
周辺のファームは小麦の刈り入れが済んで、スイートコーン、
ソイビーンズの緑が地平線まで広がっている。
この大豆が日本に輸入されて「納豆」「味噌」「醤油」になっているのかもしれない。
有り難いことであると、カナダの農場に思わず感謝するのであった。
リカーショップで明日からのアルゴンキン用に地元のワイン5本と
カナディアン・ウイスキーを購入する。
トロントで案内を頼んでいるマリー嬢お勧めのワインを探して選ぶ。
それなりの値段の白と赤&バーゲンセールの赤を1本選ぶ。
中身はわからんので、「むささび」が飛んでいる絵柄のラベルなど、見た目で決めたのである。
山奥のロッジはサウナや暖炉を備えた立派なログキャビンらしいのだが、
自分で飲む「酒」は持ち込まないと「絶対に飲ませない」のだそうである。
この酒を運ぶために昨日は「バックパック」まで買ってしまったのでる。
オンタリオ(ナイアガラ)のワインも良質との評判、楽しみなことである。
今夜はレストランで食事と言っているところに、ご主人ディックのご帰還。
早速、体調を気遣ってくれる。 OKと言った途端に、「シーザーはどうだ!」ときた。
断る理由はない!「シーザー・イズ・オールディOK」と・・・今夜も長くなりそうだ。
2台の車に分乗しレストランに向かう。
「その前に私の職場に案内しよう」という、ディックに引きつられて職場見学である。
ビジネス・ファニチャー設計施工カンパニー、ロンドン営業所のボスである。
帰りに玄関カウンターにノベルティとして置いてある、
マウスパッドを「内緒ね!」などとふざけつつ頂戴する。
さて先発でレストランに到着していたご婦人方は、待たされてご立腹であったが、
「まあ、まあ」などと日本的?とりなしで食事の開始となる。
大衆酒場で見かける超特大ジョッキから生ビールを注ぎ分けながら、
それぞれメインディッシュを注文しわいわい食ったり飲んだりのカジュアルディナーなのであった。
食後、地元の祭りを見に行こうとテームズ河畔に向かう。
本当に、ロンドンシティにはテームズ川が流れているのである。
カナダ・オンタリオ州なのである。
河畔のお祭り会場は入場料を支払うと、手の甲に青いスタンプをぺたりと押して切符代わりなのだ。
古くはケルト族の祭りとかで広場の周囲に、物売りのテントが林立し「怪しげなモノ」を
怪しげなスタイルで 売っている。
つまり、悪魔的な雰囲気の銅像やらペンダント、ネックレスの類やら、
それ的プリントのTシャツなどなどなのである。
妙に気をそそられる品々なのだが、結構高い値付けである・・・
なんと!VISAやマスターカードお取り扱いの表示が出ているのである。
うーみゅ!日本でもいずれは・・・寅さんが・・・祭りの夜店で、
「VISAでもいいよ!おにいさん、寄ってらっしゃい!」などという時代が来るのであろうか?
舞台の上では、バグパイプとエレキギター&ドラムの演奏を、
これまた琉球民謡ロック的に大音響で鳴らしている。
ケルト族民族衣装のお嬢さん達が踊る準備を眺めつつ、お祭り会場に別れを告げたのである。
テームズ河に夜風がさざ波をたて、ポプラの大樹が夜空にそびえ立ち、
少々寒いロンドンの夏の夜なのであった。
帰宅後、ジャグジーに誘われ水着に着替え全員でジャグジーパーティとなる。
シーザーを飲みつつ、温泉気分である。こんな雰囲気は世界共通の喜びである。
記念写真を取るときには、ディックも私も腹を引っ込めつつ、シーザーのグラスを掲げる。
ご婦人方は、胸まで湯の中に潜る。これまた、中年男女の世界共通意識なのである。
「あゝ!」
■ロンドン〜トロント〜アルゴンキン:1997.8.23
4時半に起床。ディックにトロントまで送ってもらう。
といっても約200Km、カントリーロードから無料の高速フリーウエイを使って
2時間のドライブだ。
車はトヨタカムリだが、日本のものより性能が良く感じる。
夜明け前の広大な大地を東に向かって走る。空が白々と明け、やがて茜色に空が染まっていく。
「オンタリオ州が世界で一番最初に太陽が昇るんだ!」
「いや、日本さ!」「大西洋ではオンタリオ、太平洋では日本が一番ということにしよう」
「OK!」
正面の真東の空に、豊旗雲がたなびき旅の吉兆を示している。
「あの雲はね、豊旗雲といって、つまり常勝騎馬軍団の旗印、
つまり、風にたなびく勝利の戦旗、 バナーというわけで、
日本では吉兆の印としてジャパニーズエンペラー一族などの絵画などのテーマにも
広く使われているんだぜ!」
「ふーん!なるほど」
と、言っている間にフリーウエイに入り周囲はキャンプなどに出かける家族連れの
車が多くなってくる、 さすがにアウトドアスポーツの本場であることを知らされる。
トロントの市街が近付き、日本の家電、自動車、カメラメーカーなどの工場が軒を並べる。
といっても、平屋建てのスマートな外観となにせ広い土地であるから、
看板を見ない限り、らしくないのである。
待ち合わせ場所のトロントバスターミナルに定刻の30分前に到着し、
しばしディックと別れを惜しむ。
やがて到着した、ウッヅランドツアー社の10人乗りコーチに乗り込む。
ドライバーは女性だがてきぱきとした会話も素敵な美人である。
さしずめ、ちゃきちゃきの江戸っ子と言った感じである。
快調な時速110kmの流れに乗って一路アルゴンキンヘ向かう。
途中休憩をいれ3時間、二人往復1,400カナダドルの旅である。
時間的、距離的な感覚でいえば、東京から奥日光か尾瀬あたりへのドライ
ブといったところであろうか。
オッリャ、ムスコーカ、などという原住インディアン語の地名らしき土地を次々と通過する。
目的地アルゴンキンも、後で知ったことなのだが原住インディアン・アルゴンキン族の住む
土地だったとのことである。
地球環境と静かに折り合いを付けつつ、自分たちの豊かな生活を続けてた、
モンゴリアンの先住民族に敬意を表しつつ楽しまさせていただこう。
50号線から、リゾートの街ハンツビルを経由し、いざウイルダネスの世界へ。
ポーテージストアで下車、荷物と共にロッジスタッフに引き継がれて、
出迎えのロッジスタッフの車でさらに未舗装の山道を8Kmほど奥地に行くのである。
「熊はでるかね、出会ったら死んだふりかな?」
「時々出てくるぜ、眼をそらさずに、後ずさりして離れることさ。
不幸にも襲われたらカヌーのオールで鼻面をひっ叩け!」
うーみゅ、オールを持っていない時はどーするんじゃ!
エンジン音も聞こえないスピードでロッジに到着。
滞在する、ArowhonPinesロッジは美しい湖と森を周囲に配置した
噂どうりの素晴らしい景観を 持つリゾートである。
15時のチェックインまで時間があるが、
その前にランチをどうぞということでレストランへ。
食後しばししてチェックイン。8ベッドルームのロッジの15号室。
奇麗な部屋で安心する。
素晴らしいロケーションとアクティビティを備えたリゾートホテルであるが、
テレビの代わりに暖炉の炎を楽しみなさい。
電話も事務室と公衆電話1台だけで緊急連絡以外は、皆さんの会話を楽しみなさい。
といった案配である。
「Eメール?残念ね」と、簡単にあしらわれてしまったが、仕方がない。
といったわけで、メールはトロントのシェラトンホテルまで持ち越しとなった訳である。
「音響カプラー」を用意してくれば公衆電話が使えたかもしれないが・・・
NTTが山奥までディジタル公衆を設置するのはそれなりに、
年に1回ぐらいは意味のあることかもしれない。
バスルームも広く清潔だ。久々にゆったりとトイレに座る。
が、カミサマにやっと手が届く位置なのにはまいる。広すぎるのも考えものである。
荷物をざっと整理し外に出る。
案合図のトレッキングルートを頼りに、まずはオレンジトレイルとやらに踏み込む。
まさしくトレイル、獣道的ルートを進み、湖が目の前の開けた場所で休んでいるとカヌーに乗った
男が声をかける。
「ムースがそこにいるぞ!見たらどーだ!」と、指さす方になんと"へら鹿"ムース様母子である。
でかい!まるで、馬、牛、河馬の混合動物といった感じである。
岸辺に近い水中で水草を食っているらしい。
写真を撮るべく近づくとのっそりと森の奥に消えてしまったのであった。すまん!。
小一時間のトレッキングでロッジに戻る。
本格的に歩くには本格的に準備しないことにはリスク有りと判断したのである。
昔々、山男であった経験則が「ちょっと危ない!」と感じたのである。
それに、本当に熊やら狼が出そうな雰囲気なのである・・・。
カヌーもちょっと試しておきたい。怖がるカミさんをなだめつつ、
明日の練習とするために湖岸から漕ぎ出す。
しっかりとライフジャケットを着用しているが、
小学生時代から河舟で遊んでいた私の実力を信用していないことが、彼女の背中に書かれている。
カミさんをなだめすかしながら、オイッチニ!1・2。1・2。
と湖岸近くを漕ぎつつ遊ぶが・・・気分は遊ぶところでは無いらしい。
背中に緊張と恐怖感に満ちている。

風邪の具合もあまり良くないので、早目に上陸し部屋に戻る。
水着に着替えサウナ小屋をリザーブし、冷えた身体をサウナで暖める。
「極楽・極楽」いや「天国・天国」であろうか。
さて、お待ち兼ねのディナーに臨む。
たそがれのレストランのテラスにハチドリがぶんぶんと飛び交う。
砂糖水の餌場をめぐる蜂とハチドリの戦争が目の前に繰り広げられている。
まさしく自然そのものの世界である。
残照を窓からの借景として、中央に薪の燃えるレストランの食事は、
テーブルに名札、国旗、キャンドルのサービスである。
日の丸の旗は我ら夫婦だけのようだ、ジャケット着用の老夫婦も、
カジュアルな服装のアメリカ人カップルも、楽しい雰囲気を慈しむことだけは共通の言語なのだ。
我々も持参のナイアガラワインで食事を楽しむ。
前菜からデザートまで素晴らしいものであったが、
クラムチャウダーは特筆すべきうまさであった。
持参のワインも、まずますの味わいである。
ゆるやかな時の流れに自らを酔わせ、デザートまでの豊かな人生を詩人として語るのであった。
夜も更けて、深夜1時。トイレに起きると、グレイウルフであろうか。
「ウオーン!」と遠吠えが聞こえて来るのであった。
■アルゴンキン州立公園滞在:1997.8.24
青空が晴れ渡るアルゴンキンの朝だ。
朝食後身支度を整えピクニックランチ持参でカヌーの人となる。
湖面をよぎる風を友として滑るように進む。岸辺から入り江の奥に、
倒木に進路を阻まれ水草の中を迂回し再び広い湖面を横断する。
岸辺のキャンパーや時折擦れ違うカヌーイスト達と軽やかに挨拶を交わす。
大自然の中で人は皆兄弟になれるのだ。
岸に上がり、メタクッカーに火を着け湯を沸かす、サンドイッチとリンゴ、コーヒーのランチだ。
縞栗鼠が足元で餌をねだるがあげてはいけないと言われているのだ。
夕方、着岸寸前に驟雨。辛うじてずぶ濡れをまぬがれる。
たそがれのアルゴンキンをロッジの前でくつろぐ。
豊かなる自然に、都会の垢や芥、溜まりきったヘドロ状のストレスが洗われていく。
ふと、見上げる空に虹が懸かっている。
アルゴンキンの虹である。
天空へのきざはしによろこびのこころごころが駆け上る。
大きな虹である。願い事を百万遍述べ立てても消えようとしない、立派な虹であった。

風邪が治らない、鼻水がひどい。
カミさんに頼んで夕食は焼き肉(ステーキ)に、「おろし生にんにく」を添えてもらうよう、
フロントからシェフに依頼する。
風邪に「生にんにく」は、ご当地でもすぐに理解されたとのことである。
出てきたものは、レアに近いローストビーフにスライスした生にんにくの山盛りであったが、
(おおむね意図した意味が通じた。と、言うべきであろう)
持参したキッコーマンに当然のこととして良く合うのだ。
(味覚的にも美味しかったのである!)
感謝と赤ワインで腹一杯、効き目を期待しつつロッジに戻る。
暖炉の薪の爆ぜる音を聞きながら顔や身体に優しい熱を感じる。
ゆらら炎は悠久の時に馨しき香りを発しつつ燃え立つ。
たそかれて夕暮れは赤く空を染めて紅から紫、そして群青の夜につながる。
「クイーッ」っと、湖面をルーン声が響き夜は更けていくのだ。

■アルゴンキン州立公園滞在:1997.8.25
朝からアルゴンキン晴れの青空に太陽がまぶしい。
しかしながら気温は17度位だろうか。朝食のレストランのメニューも日変わりがうれしい。
本日は野菜オムレツのベーコン添えにマルチブレイン・ブレッドにする。
前菜の野菜やジュース、 果物は取り放題なのもうれしい。
見た目には不味そうなオートミールに、持参の「ふじっ子」(塩昆布)を内緒で振り掛けてみたが、
絶品である。「美味い!」のである。
うーみゅ!玄米粥に塩昆布といった風情でいけるではないか、
体調が不調なときには、やっぱり和食的なものを身体が欲するのでもあろう。
「オートミールに塩昆布」海外旅行のヒントでありますぞ。
食後は今日もカヌー三昧である。
すっかりカヌーのとりこになってしまったのである。
他にやることもないこともあるが、カミさんも渋々といった風情ではないのが有り難い。
新たなルートを地図で探し、リトルジョー湖に流れ込むWODEクリークに向かう。
広い湖から入り江、そしてうねるクリークに入る。
誰もいない静寂の流れに小魚が群れをなして水草の間を泳ぎ回る、
時折聞こえる鳥の声以外はなにも聞こえない。
頭の奥で「シーン!」という音が本当に聞こえるのだ。

さらに進む川は幅が狭まり浅くなる。ポータリングポイントの標識を無視しカヌーを進めるが、
先行していたらしいカヌーイストが「こっから先は行けないぜ」との忠告だ。
やむなくUターンし流れを戻る。
空は青い、アルゴンキンの蝉の声を初めて聞く。
「Jiji−t!」英語で間延びした鳴き声であった。
ArowhonPinesロッジ最後の晩だ。
カヌーで遊び疲れた身体を風呂で癒す。
昨日と今日で周囲に広がる4つの湖などを制覇した。
二日間で約12マイル(1,609m×12=19,3Km)位漕いだろうか。
片側単独パドリングによる漕艇もどうやらマスターしつつ一日を終えた。
漕ぎ疲れると上陸しお茶を沸かしてのんびりしたが、必ず縞栗鼠が数匹現れる。
どうしてもパンなどを与えてしまうのだろう。
潜水して魚を捕る大形鳥ルーンの縞模様と鮮やかな青の縁どりも見事、潜水能力も1分近い。
最後のディナーを残った1本半のワインと共に楽しむ。
酒を楽しむ為に前菜の量を控え、ラディッシュ、アルファルファ、トマト、ズッキーニ、
キャロット位にするがやはり多い。本日のスープは少し塩がきついがうまい。
メインは私はチキン。カミさんはソードフィッシュとする。
外はやっと黄昏る20時半、飲み切れなかったワインをデッキで飲み直すが寒い。
カッコつけて寒い中にいるほどの若さももはや無い。
暗くなったデッキを後にしロッジの暖炉の前に陣取る。
薪の爆ぜる音と心地よい輻射熱に酔いも深まる。
今夜もグレイウルフの遠吠えにアルゴンキンの夜は大自然に戻るのだ。

■アルゴンキン州立公園〜トロント:1997.8.26
アルゴンキン最後の朝だ、荷造り朝食後、最後のカヌーイング。
静かな湖面にそっと漕ぎ出す。カミさんを中央に座らせ女王的に漕がせない。
右側パドル1本での漕艇を筋肉に記憶させねばならないのである。
フォロースルーでパドルを舵として逆方向に水流を作りながら抜いていくのがミソである。
朝もやの湖岸近くの水面にに睡蓮が白い花を群生させている。きれいだ。
昼食前に上がり、シャワー、昼食とする。
チェックアウトが13時というのもリゾートとしてはうれしい配慮だ。
半日たっぷり遊び昼飯まで食べられるのだ。
水遊びへの配慮であろうか、1日2回のルームメークは一流ホテルを超えたサービスである。
その上、スタッフのフレンドリーで親切な接遇に、
二人で3泊10食遊び放題送迎付きノーチップ税込み
1,298ドル(約123,000円)は高いだろうか?
飛行機代さえなければ、毎年来たい!のである。
素晴らしい環境であったのだが、二日目からは、ついに日本人グループと遭遇してしまったのである。
しつけの悪い我侭な子連れファミリーは、やはり顰蹙モノ、世界の笑い者である。
日本人夫婦と知って、へらへらと近づいてきた愛想の良い若者グループも、
日長一日何することもなく水辺に座り込んでいる姿もナサケナイものがある。
他国の若者達はアウトドアをアクティヴにガンガン楽しんでいるのである。
君たちは一体何をしにここまできたのか…貧乏なオヂサンがいけないのか?
いや、やはり君たちがバカモノなのである。
カナダの果てで怒ってしまったのである。
アルゴンキンのお土産は、洗われたこころ以外に何も無い。筈、なのであるが。
実は、白樺の薪の樹皮がぺろりと剥れたのである。
いつか、ある日、家を建て替えたら、書斎の看板にでも使おうか。 と、そっと、
サムソナイトの奥に忍ばせたのであった。
今年からやっとカードが使えるようになった。
いや、我々が泊まる前日から、VISAだけでなくMASTERCARDが使える
ようになったフロントで支払いを済ませ、 来たときと同じくポーテージストアまで送ってもらう。
カードについては、カナダドルへの両替を現金で用意していなかったため
VISAしか使えないと 聞いたときにはドッキリだったのである。
最悪の場合、ジュリーの口座を借りることすら話していたのだが、
本日からMASTERが使えます。と、到着日に聞いたときには笑ってしまったのである。
ポーテージストアまでの運転は来るときと同じく好青年スタッフのケビン君である。
シャトル便のコーチが来るまで、カミさんの話相手をしてくれたが、
日本に行きたいという彼の希望をJET(日本英語教育機構)応募で適えられるわよ、
明日トロントを案内してくれる友人のマリーが日本の窓口を紹介してくれるはず、
彼女の電話番号は・・・てな調子で国際職業斡旋までしてしまったのであった。
ウッヅランドツアー社のシャトルコーチのドライバーは、
これもまた来るときと同じメリーさんであった。
夢のような別天地、アルゴンキンから4時間半の長い旅路でカナダ最大の都市トロントに到着。
シェラトンセンターホテルにコーチを横付けし、大荷物共々853号室にチェックインする。
気さくな彼女にも何かと往復お世話になったのだが、
別れ際にお礼に日本のハンカチをあげたことが功を奏したのである。
なんと、大きなサムソナイトなどの荷物に気を取られ座席に置いた、 土産、
ジャケットやカメラをほうり込んだビニル袋を置き忘れてしまっていたのである。
何かの折りのデータにとディジタルカメラで撮影した、
コーチのボディに書かれていた電話番号も袋の中では役に立たないのである。
幸いなことにカミさんの手帳にメモが残っていたので早速連絡する。
電話一発で「忘れ物?取ってあるわよ、ホテルのフロントに届けとくわ」
と無事に事なく済んだのである。
いずこの国でも「旅は道連れ世は情け」「友人に勝る宝なし」
「お友だちを増やしましょう」なのである。
やっと日が暮れた、20時45分。冷や汗を安心に代えて、食事をどーするか。
冷や汗をシャワーで流して夕食に出掛けることにする。
どこにするか、久々にガイドブックの中華で行こう!と街に出る。
15分ほど歩いてのチャイナタウン付近はやはり少々怪しげである。
カミさんが手を繋ぐのはこんな時だけだ。
麺・餃子・MASTERCARDと表示のある「味香村」という店に入る。
メニューを見て注文書に自分で書き込むシステムである。
多民族国家は食堂のシステムまで工夫されている?ね、などと語りつつ、料理を選び、
中国語と英語の併記であるので「漢字」でオーダを書き込む。
テレサテンによく似た店員が「驚き!」の眼差しで、「中国語が上手だが何国人か?」
と英語でクエスチョンされてしまったのである。
さすがにカナダくんだりまで来ると、日本人が漢字を使うことを知らないらしい。
ビアはカナディアン、エビチリやマードドーフ、ナス味噌炒め、 海鮮湯麺、
鍋張餃子・・・すべてのテイストがカナディアンチャイニーズ?である。
「ロンドン中華よりましだね」「しかしちょっと甘すぎる!」
「マーボの辛さは山椒の刺激が本物!」。
などと、文句を言いつつも、 ひたすら飲み食いする夫婦なのであった。
深夜のトロントは、東京よりも危なくないかなと思いつつホテルに戻る。
風邪の具合も良くなりつつある、ご当地の片手鼻かみも板についてきたのだ。
ホテルの部屋のベッドサイドで電話機のモデムジャックにザウルスを繋ぎ、
久々のメールチェックに夜なべ仕事をしたのである。
■トロント:1997.8.27
トロントの一夜が明けた。ここはシティホールの真正面に位置している、
さしずめ都庁前の京王プラザHに泊まっている感じである。
今日はルームサービスの朝食後、ナイアガラ以上の大自然に触れてきたので、
今回はナイガラ行きを中止し、カミさんの友達といっても娘のようなマリーさんの案内で
トロント散歩に切り替える。
シティホール前広場では、朝から?朝市がたって賑わっている。
野菜・果実中心の出店がずらり並んでいるのも壮観だ。
カミさんは早速、ここでも、ブラックベリーを買い込んで食するのである。
はて?東京では都庁前広場に、朝市を常設させるような計らいは…させる
時代が来るのであろうか。
などと考えつつ、世界最大と言われている巨大なブックセンターでアウトドア
関係の本を仕入れたり、
オンタリオ州議会議事堂でカナダ建国の歴史を学んだり、
博物館で我らと共通のモンゴリアンであるカナダインディアンの石器やら土器やら
アートの数々の鑑賞。
英仏戦争によってカナダの英国化と本国からの自由独立なんぞをも、しっかりと学んだのである。
それはそれとして、古い建物と近代建築の調和。
公園には黒栗鼠が芝生を走り回る環境は素晴らしい。
多民族国家でありながら、誰もが本当にフレンドリーでもある。
しかしながら、犯罪には非常に厳しい対応をしているようだ。
デパートの店先で突如殴り合いの騒動があり、
黒人青年が袋叩きでボコボコにされている現場に出会ったのである。
引っ立てられて後ろ姿は哀れであったが、「万引きで捕まったようね!」と、
マリーは平然と語るのであった。
夕方、マリーさんと別れシャワーを浴びて今回の旅行の最終目的である、
ミュージカル「オペラ座の怪人」観劇である。
公演されているPANTAGES劇場の席も最上等に近いらしい、
場所柄できるだけのドレスアップをして出掛ける。
カナダ旅行中伸ばしていた顎髭も、
まあ、かのミステリー作家、エラリー・クイーンに見えなくもない。
開演ぎりぎりの到着で焦りはしたが、20時開演、感動の2時間半であった。
「オペラ座の怪人」はロンドンに続き2回目の鑑賞だが、
演出やアクターの違いはあるものの素晴らしいミュージカルであった。
エンディングでは全員総立ちの拍手の嵐。
これまた、初体験の感動である。
オーケストラボックスのエンディングテーマの演奏を最後まで覗かせていただき、
劇場に別れを告げる。
深夜の街路はすでに秋風。
覚めやらぬ感動に心地よくよぎるのであった。
■トロント〜成田:1997.8.28
6時30分、チェックアウト。
利用明細は部屋のTVでチェックできる。
間違いがあったら事前に申し出るべきだ!と、顔に書いてあるフロントマンは極めて慇懃無礼だ。
フレンドリーなカナダ人の中にあって、「あれっ!」と、言いたくなる対応なのである。
電話利用料金のほとんどが、1,25ドルである。本来定額の市内料金から、
100円も取ってしまうところが欧米のサービスチャージの考え方なんだろう。
まあ、寝ながらメールを送受信できる環境料金もいいさ。と、妙に納得したのである。
3個になってしまった荷物をポーターに運んでもらう。
愛想がいいのは彼らのチップ生活の為せるわざだね、「商売だよね!」と、
頭がサラリーマンに戻っていくのである。
06:45発のシャトルバスで、朝の空港へ。
溜りに溜まった小銭を売店で消化し機内へ。
早めに搭乗手続きをして注文をつけたことから、幸い非常口前の足を伸ばせる席であった。
スタッフが置き忘れた、プラスチックケースを足載せに借用し、 快適?な
「貧!ジネスクラス」となったのである。
往路と同じく、カナディアン・パシフィック社のDC−10は老朽機?、
スタッフもベテラン女性揃いで見応えありなのである。
飛行コースは、アラスカ経由なのである。
氷雪の山河を、翼をミシミシ、天井をガタガタ言わせながら飛んでいく。
13時間の、長い長い飛行も終わり、ついに成田へドスン!と着陸した。
入国審査も税関もスイスイ。パーキング会社に電話し、車を持ってきてもらう。
10分後には、マイカーの人となり、ハンズフリーの携帯電話で仕事を始めたのであった。
完
