2007年3月21日〜4月3日
花の大江戸・関東への旅
2007年3月21日
花の便りに誘われて、江戸から関東へ一足早い春の旅とすることにしたが、さーて、どうなりますか?
小雪ちらつく青森を、13:00出発。
今朝は小学生時代の遠足のように午前3時過ぎに目が覚めてしまった。
そのまま眠れず、思いつくままに地図や情報のプリントアウトをしたりして朝を迎えた。
「つぶ丸」の車検費用の支払いに行って工場長やスタッフとキャンピングカー談義で時間をつぶしてしまった。
忘れちゃいけない江戸用の靴を用意したりしてチェックよっし!出航だ。
(たった今、背中のかゆみに「孫の手」を忘れたことに気がついた。(^^; )
道の駅「ゆーさ浅虫」「しちのへ」「とわだ」訪問宿泊先などの青森土産を調達しつつ道を進める。
17:00岩手県二戸町に入って青森県とお別れ。お彼岸の太陽が真西に沈んでいく。
できれば温泉に入って、今夜の宿泊地を決める頃合いだ。
東北の日帰り温泉情報誌をチェックする。ルート上で近いのは「金田一温泉・ゆうゆうゆーらく」か、
ナビにセットして日の暮れた道を急ぐ、なにやら細い住宅地を抜けて???
犬を散歩させているお兄さんに「これこれしかじか、どこでしょう?」
「そこを右に行ってすぐです!」「にゃるほど!ナビも50m以内に案内していた」

600円の入湯料を自販機で買って中にはいると、
ロッカーは100円リターナブル(よろしい)
ボディソープとリンスインシャンプーは常備(よろしい)
ぬるめの岩風呂や、バブルジェットバス、勢いのない打たせ湯、入って出て身体を洗う。
「サウナにも入ろう!」「んんんっ!違和感は『ミストサウナ』だった」
浴室の木の香りが好ましい「ヒバかな?」
ドライサウナより汗がほとばしる。出て頭から水を浴びて入浴終了。
ドライヤー、綿棒、ティッシュペーパー、基本化粧品も用意されていて「いいんでないかい!」
デジタル体重計に乗ると昨日より1kg減!
「トラベル・ダイエットだな!」と独りごちる。
温泉表示をチェックすると、
@「単純泉です」
A「源泉を加温しています」
B「衛生上『循環』しています」
C「衛生上『塩素』を使用しています」
・・・・・・ということでした。
まあ、地下からくみ上げたミネラル温水?を銭湯しているんですね(^^;
外に出ると気温0℃
山の端に三日月と金星が接近遭遇して「どこの国旗だっけ?」
それはそれとして、今夜の宿泊地は?
選択の余地はなく、50km先の「道の駅・石神の丘」(岩手県沼宮内)
後続の部下共を100mほど引き連れて真っ暗な国道4号線を時速60kmキープでひた走る。
19:30分、無事に到着。
駐車場はガラガラなので、端っこに停めて発電機を運転。
エアコンも特設の「暖気下部誘導カーテンダクト」と「コタツ式テーブル」で足元もポッカポカ!
持参した「酒の肴の数々」で、「第3のビール」から「ウイスキー水割り」と、いつものコースです。
テレビもアナログだけが縞模様にそめられて映りましたが、たいしたニュースもなし。
いつものミュージックに切り替えて夜が更けています。
明朝の冷えに備えて「電気温水器」スイッチON!
発電機がうなっちゃっているけど「周囲にクルマ無し」よしとしましょう。
眠くなるまで飲んでます。¥(^^)
3月22日(木)
道の駅石上の丘の朝、6時過ぎ。
足元が冷たい感じで目が覚めた。そのままぐだぐだしていたが7時起床。
室温3,4℃。ラジオの天気予報では最低気温は0℃だったようだ。
洗面所で、洗面(お湯が出る)トイレ(暖房便座でウォッシュレット)清潔である。
なかなかよろしい!が、空き缶とペットボトル以外は捨てさせてくれない・・・
7:40身支度して出発。
本日の予定は、福島県浜通りの道の駅「ならは」だ。
ナビでは342km、15:12着と出たが・・・そんなにうまい話はないだろう。
すこし走って給油。121円、まあまあ安い方だ。
盛岡周辺で曇り空から粉雪が舞う天気となった。
風景は山裾や道路脇に雪が残って、田畑は春を待ちわびる枯れ土色一色で、
長閑なれど今はなすべきこともない田園の憂鬱か。
9:30道の駅「石鳥谷」で休憩。
珍しく空腹を覚えて、冷蔵庫の残り物ボイルウインナーを5本食べつつお茶にする。
10:30出発するも、そこかしこで道路工事の片側車線規制で交互通行。
相変わらず、年度末の恒例行事が続いているんだ、、、これが最後まで徒となるとは、、、。
走り続けて、13:05道の駅三本木にやっと到着する。
昼飯はこの半年ぐらい目玉焼き(1個)とリンゴ1個+ゴマ白黒スプーン1杯づつに決めている(^^;
古川から仙台市内を越えて自然渋滞・・・
16:00国道4号線から国道6号線に入る。
117円の看板を発見してセルフ給油。ガソリン値上げ以来の最安値だ。
福島県に入って周辺の雪も消えて梅の花が咲いている、「やっと春を見た」
浜通りをひたすら走ってまた黄昏れて西方浄土に日が沈む。
暗くなっても工事渋滞、、、だ。
17:15道の駅「相馬」で大休憩。いささかお疲れだがもう一息。
そしてまた、、、工事大渋滞に、、、「くっそ!」紳士?の私も悪態をつきたくなる。
赤いテールランプの列が闇を染めて老人力が動体視力を曖昧にさせる実感!
「夜の走りはご用心だよ『ご老人』」などと駄洒落つつ、
「糞ババァ!飛び出すな!なんて運転しやがるんだ!」福島県もアブナイです。
19:05、いやはや走って、道の駅「ならは」到着。
取りあえず正面玄関前に駐車して「ご入浴タイム」です。
道の駅のメイン施設が「温泉」という趣向でありがたい。
料金は500円なれど、シャンプーリンス&ボディソープ付き。
強力なジェットバスが疲れて強ばった筋肉を解きほぐしてくれる。
ドライサウナで大汗を流して「ふゎーっ!」
こんな時に日常的な運動効果で新陳代謝力が高まっていることを実感出来る。
さて、温泉表示は「強塩泉」(海水ってこと?)
@「源泉を加温しています」
A「衛生上『循環』しています」
B「衛生上『塩素』を使用しています」
昨日と一緒だね。。。こんな時は仕方がないが温泉は本来「源泉掛け流し」で、
入浴するためにやむなく温度を下げるための加水をする。
温泉のルートを工夫して適温まで下げるってのがホントなんだけどなあ。。。
「まっいいか!」
こういう「旅の施設」があること自体が素晴らしいことだ。
「道の駅」は国土交通省のヒット企画だと褒めておきたいのです。
20:30、つぶ丸の駐車位置を奥の奥の変えて発電機運転。
電子レンジで持参の「キャベツ」「ジャガイモ」「人参」をチンする。
塩とオリーブオイル+バルサミコ酢で和えていただきます!
(テレビもアナログが昨夜よりくっきりとあほ番組を流していますが、、、)
これも持参した「イカの塩焼き」「鮭のハラス焼き」そして「ゴボウサラダ」で『飲も・飲も』です。
一息入れてから食器を片付けて、スルメと昆布でウイスキーを舐めてます。
今夜も切り替えたミュージックとオトモダチで夜が更けてます。
「ういっ!」
3月23(金)
道の駅「ならは」から国道6号線を南下しつつ太平洋の荒磯を眺める。
「春の海ひねもすのたりのたりかな」ふと思い出される句も懐かしい学習の成果だ。
工事渋滞や市内地渋滞を避けるため、高萩I/Cから常磐道に入る。
高速道路を走るのは久しぶりだ、周囲の田畑や林間、河原などに「緑の気配」や、
耕地が耕されている。「関東は春なのだ」
友部SAでランチタイム、本日もリンゴ1個と片目玉焼き。
意志を固くするには売店などを覗かないことだ、、、体重も1kgダウンしたことだし。
午後、実家の母宅訪問。妹と来宅中の姪と共に亡父の墓参をする。
寺の庭には、はしりの「桜」「雪柳」「辛夷」が花開いている。「春だね」
3月24日(土)
土曜日の昼前に東京に入る。
「つぶ丸」の実家?葛飾区奥戸、リーエキスポート社の駐車場に数日世話になることにしているのだ。
コーヒーを頂いた後、身支度して出かける。
開花宣言のあった「靖国神社」が今日の目的地だ。
実は初めての参拝なのだ、一度は参拝せねばとは思っていたのだが「しなかった」のだ。
京成青砥駅で「Suica」にチャージして、カード一枚で都内を移動できるようになったことはうれしい。
鉄道の相互乗り入れや、IT技術の成果でカードの共通化ができたことの利便性は大きい。
青砥〜日本橋〜九段下と乗り換え1回で済んだ。
靖国神社は花見の出店屋台が軒を連ねて、桜まだきの樹の下にブルーシートと車座の宴会があちこち。
作法どおりに手を洗い口を濯ぎ拝殿に向かう。
「二礼二拍手(平和などの祈念)一礼」


隣接する「遊就館」を見学。
古代からの武具・甲冑の展示もあるが、
ペリー来国以来、日本の近代化と帝国陸海軍の歩みやアジア諸国、ロシアとの軍事対決の資料は、
改めて近世の歴史を学ばせてくれる。
そして次に続く「昭和の悲劇」への歩みと資料解説は「これもまた真実のひとつ」
そして私の中で真実となって確認されたのは、
旧帝国陸海軍は神武東征以後、連綿と続く「まつろわぬ民」を敵とし、
外敵としての侵略者を防衛・征伐する「天皇の軍隊」であった。ということなのだ。
であるから「東北の『まつろわぬ蝦夷』も敵」であるし、
明治維新前後の国内戦争「戊辰戦争」における会津藩を中核とする朝敵や、
西南戦争での西郷隆盛軍もまた「朝敵」であるからして、ここ靖国神社には祀られていない。
戊辰戦争や西南戦争で戦死した「皇軍士官や兵士を祀る」ことが「靖国神社」の創建目的だった。
よって、昭和の戦争においても皇軍兵士や軍属のみが祀られているのである。
よって当然のこととして、一方の「戦争被害者」である「戦死一般国民」は、ここに祀る対象者ではない。
私が誕生したときに「母の弟(叔父)」が出征前に「私を見に」来てくれた話は聞いていた。
その後、海軍軍人として戦死したという「話」を聞いていた。
突然「いつどこで」戦死したのか知りたくなった。
問い合わせると「調査依頼書」を提出すると調べてくれる。とのことで窓口に赴いた。
うろ覚えの「叔父の名前」「(当時の)住所」「本人との関係」「調査目的」などを記述する。
不覚にも「続柄欄」に「おい(甥)」の漢字を失念した。。。。。
窓口の若い女性担当者に「生」偏に「男」です。とご教示いただいた。。。。
書類を提出すると「しばしお待ちを」と私と同年代らしき神官装束の職員の方が奥に、、、
5分も待たぬうちに「プリントアウト」した調査結果を渡してくれる。
「御祭神調査の件」(回答)
鈴木 ○○ 命
二 階級・海軍水兵長
三 所属部隊・横須賀海兵団父島特別根拠地隊
四 死歿年月日・昭和一九年六月三十日(戦死)<私の誕生十日後>
五 死歿場所・小笠原父島近海
以降省略
出征にあたって当時東京在住の姉(私の母)を訪ねた、
ちょうど姉の長男である私が産まれたばかりだった。
優しいまなざしで私を見つめ声をかけてくれたに違いない。
そして数日後、横須賀を出航して小笠原父島海域で米軍と戦闘状態に入った。
果敢に闘ったに違いない。が、撃沈され戦死した。様々な想いを残していたはずだ。
皇軍兵士であっても、その戦闘意識の中には、
父母兄弟姉妹・親族、祖国風土地域への愛、想いといった広義の祖国愛が叔父にあったと私は信じる。
別れたばかりの小さな赤子である「私」への愛しさもあったはずだ。
だからこそ、現在の日本国を防衛する国軍(現・自衛隊)は、「皇軍」であってはいけない。
「皇軍」の統帥権を持つ最高責任者は明かであって
「あの戦争の総括」をすれば『責任の取り方』は自ずから明確なのであろう。
それも含めて戦後の日本国「運用」は、アメリカ合衆国の手に委ねられた。
戦争責任を裁いた「東京裁判」で、ただ一人の法学者、インド国・パール判事の「日本無罪論」も始めて知った。
売店で、「パール判事の東京裁判日本無罪論」−私は正しき法を適用したに過ぎない−
田中正明著 小学館文庫 ¥533 を購入した。
すべては、国際政治、政治経済状況の流れの中で「正義」も「悪」も決まってくる。
現在、「日本国にとって大きな国際問題」である「北朝鮮」問題ですら
「北朝鮮の正義」と「ブッシュ政権維持」の狭間で「どのような形にでも粘土細工」するのだ。
日本国民を主体とした「生命と財産の保全」をなすべき「政府と防衛軍事」のあり方を真剣に考える。
そして具現化する。ための「政治的意思表明」が、あらゆる選挙の一票なんだねえ。
少なくとも、いわゆる「自虐史観」の落とし穴に「ずっぽりはまった」
愚民から「賢民」への転換を自らが図らねば「日本の未来」はない。
「本を読め」「過去に学べ」少年よ!
孫どもに与える爺さんの言葉はこれだけだ。
鈴木水兵長であった叔父が与えてくれた「戦争を直接知らずに済むであろう一生」を、
ありがたく感謝しつつ「次の世代を担う孫ども」には
「もはやこのままでは済まぬ」ことを教えていかねばならぬのだ。
本日、靖国神社が私に教えてくれたことは「とてつもなく」大きい。
桜花は少なけれど、天は曇り空なれど、誰がために命の花は咲くのか。
誰がために花は散るのか。
「祖国とは母あり父あり同胞のいのち花咲き山緑なり」
生きていくための「食」
レストランでメニューにあった「海軍カレー」を注文する。
亡き叔父も艦内で何回か食べたであろう味わいは、
近頃のうまみ調味料「アミノ酸」ゼロの素朴なる味であった。

「雨のぱらつく東京・九段下」から神保町へ歩を進め。
書店で、「ミサイル防衛」−日本は脅威にどう立ち向かうのか−
能勢伸之 新潮新書 ¥680 を購入し九段下から青砥に戻る。
戦闘ならぬ、銭湯「奥戸湯」のやたら熱い湯に身を沈め今夜の酒を思った。
隣のスーパーで「カジキマグロの切り身二切れ」「納豆」を買い「つぶ丸」で調理する。
キャベツとオニオンをスライスして電子レンジでチンして塩胡椒+バルサミコ酢をかけ回す。
そこに、塩胡椒してオリーブオイルで醤油少々とソテーしたカジキマグロをのっける。
ゴボウも生のままで薄切りし、マヨネーズ酢味噌。
卵二個は割りほぐしてニンニク一個を薄切りしたものと混ぜ合わせ醤油少々、
やや多めのオリーブオイルで百円スキレット・オムレツに、
持参した「味噌ピー」と「納豆」が今夜のディッシュ。

妹からもらった「本ビール二缶」を飲み干し、ウイスキー水割りと今夜もJAZZミュージック。
独りの夜のシアワセを呪うヤツはいまい。
されば今夜も「死ぬにはいい夜だ」と、言っておこう。
PS:いわゆる「靖国問題」は「靖国神社」に行かねばわからない。
記述しなかったが、戦没者の遺影が壁面に展示されている。
が、軍の階級・軍歴・男女の差別なくランダムに壁面にあることに感動を覚えた。
「死んだからには平等の人間」ここに「差別」はなかった。
3月25(日)
春雨けぶる大江戸の春は肌寒く昼近くに浅草なる盛り場方面に向かう。
雨もあがりつつ墨堤公園の桜並木に桜もちらほらと、
期待したる満開にはいまひととき要することを悲しみぬ。
大川をゆく水上馬車の人影もまばらにあわれなり。
墨堤から浅草寺に向かいて雷門より仲店通りを歩めば、
お上りなる旅人の数ここにはあふれてやがて境内に至る。

御利益あるとの焚きたる煙ぶりを身に浴びんと手を打ち振りたる善男善女に混じりて煙を浴びるなり。
さてご本尊に向かい賽銭箱に大判を投げ入れ我が愛犬の病い本復を祈念す。
さてさてあたりの人混みはなにやら聞き慣れぬ異国の言の葉に充ち満ちて、
いやはやいやはやとその場を離れることとなりぬ。
伝法院なる路地を進みて小店並びたるなかには
堅気の身には着け難き色とりどり極彩色なる衣、袴が並びたるもいとおかし。
革帯屋に立ち寄り、西洋野袴(ジーンズ)に用いる革帯を見つくろうなり。
女主人が見立てたる革帯を値切ってみるも「この値をまけたれば商い止めたがまし」
とけんもほろろ。改めて値見たれば金千両、なれば女主人の言もまた致し方なしなり。
されば清水の舞台より飛び降りたる思いで一千両札を懐中より渡したり。
まずまず双方納得のいく商いで手打ちをするも江戸のならいか。
すでに日暮れも近く、屋台なる飲み屋が軒を並べすでに盛り上がりたる赤き頬ぞおもしけれ。
ホッピー、モツ焼き、煮込み鍋、チューハイなどなどをうら若き金髪の異国のおなごもまた食らう姿もいとかなし。
小腹空きたるわが身にも酒の一杯も飲ますべしと懐かしき「神谷バー」なる居酒屋に入る。
店内は溢れかえりたる客がすでに酔いつつ語る中に席を見つけて客となる。
生麦酒の大杯から「電気ブラン」なる南蛮渡来風の火酒を一杯、二杯・・・・

喧噪の中なる相席との世間話もまた江戸のならいか。
ほどよき頃合いに酔いもまたよいかなと店を出で、
「江戸の花見も曇り空花もなければ金も無し」などと独り言。
地下を走る乗合馬車から降りて歩くのもおっくうなりと駕籠にのりて我が宿つぶ丸に戻りてつぶれたり。
3月26日(月)
さて夜も明けて天気もよく、
花見ならぬ「孫見の旅」に出でにけり。
憎まれ盛りの長子をさておき可愛い盛りの孫姫と戯れるもただの爺となりぬれの。
たそがれ時に別れを告げ孫姫の手を振る姿もいとかわゆくありぬれの。
さて今夜の一杯は先に約したるともがらに祝宴ありとのことにて、
身ひとつなれば裂くこともならず、祝宴にぜひ入られたしとの誘いあり。
これまた知らぬ仲でもなければまたこれもよしと仲間に加わりて祝うなり。
飲めばいずこも都の花、きょうも酒酒、明日も咲け・・・・・
ついでに約したるともがらと二軒目の酒を語らいつつホッピーなる「第四の麦酒」を飲むなり。
中、外、中、外と飲み続け時も明日が近づきて「いかぬ!」とばかり別れたり。
なにやら最終なる地下乗り合い馬車に間に合えば「ほっ!」と一息をいれたり。
さて、今夜は風もよし、川沿いの道を進みて我が宿つぶ丸にたどり着きてつぶれたり。
3月27日(火)
つぶれた翌朝は記憶を辿りつつ環七の騒音で目覚める。
公園の桜も五分咲きになって昼までぼんやりしつつ時を過ごす。
突如人生司令本部から行動指令が発令されて行動開始。
指令第一号「上野公園・国立博物館裏手の日本庭園の桜が満開!
春秋年二回の特別開放中であり園内の茶室に狩野派の襖絵あり。できればカメラで撮影せよ!」ということなのだ。
上野に行ってから銭湯、それから二本立ての飲み会。。。「うーーみゅ!急ぎ働きだな」
上野に着くと公園の桜も六分咲き、国立博物館はダヴィンチ展が開催されているが観ている時間がない。
一般入場券600円を購入し、指令どおりに園内を撮影主体で巡回する。桜の観賞は後ほど画像で!ってことなのだ。
茶室の襖絵は、、、暗くてよく見えぬが、、、ガラス越しにカメラを密着してパシャリ!
肉眼で見えにくい襖絵がデジカメの性能できれいに映っているではないか。



飛んで帰って銭湯へ、さっぱりして今夜の戦闘準備完了!
さて旧友との再会も楽しく、飲んでだべって今夜は今夜で酒がうまい。
年長組との宴を終えて続く第2陣は会議を終えた若手友人との2年ぶり?の再開。
またまた飲んでしゃべってエンジンがかかってしまった。。。。。
2次会はあそこに。。。ここか!そこでまた珍しき先輩との邂逅があったり、、、
タクシーでつぶ丸に戻って、「Bar笛吹亭」も店を開けた「ああ!」
3月28日(水)
ホテル笛吹亭に彼も泊まって環七騒音目覚まし時計で夜が明ける。
「まだ、完全に酔っている。。。。。」が、東京に別れを告げる朝だ。
這ってでも会社に行きたい彼を駅に送って、事故を起こしてはならぬ、
警察官に問いただされる事態は避けねばならぬ。なにせ酔っぱらいだ(ウソウソ!嘘ですよ)
うらうらと春めいた街道をブラックガムに頼り切って一函噛み切った。
「桜はサクラ弥生の空は見渡すかぎり」立ち寄った道の駅や公園で花見休憩酔い覚まし。
さて今夜はお待ちかねの古き良き友のお宅訪問。
無事に着いて近くに出来た立ち寄り湯に二人で出向く。
正しいメタボリック症候群そのものの彼の立派な腹に敵うべきもない「わが、くびれたる腹」よ。
メタボールを見せつけてその体重差は23kg・・・・・小学生を腹にぶら下げているのだ。
風呂上がりに新装開店オススメの居酒屋にちょっと寄りましょう「いいでしょう!」
生ビール一杯で元気回復、料理もうまい!シソ焼酎お湯割りで、二杯目は「も少し濃くして」
三杯目は「もっと濃くして」われながら懲りないなあ!
お宅に戻って奥様の手料理で新潟の純米大吟醸生酒を開けて「濃いねえ生酒は、、、
ラベルをチェックしてみると、アルコール度数 17〜19度『うーーみゅ!』」
語りつつ飲んで人生は酒のごとく芳醇だ。
時計も日にちを越えていやはや今夜も酔った。「ご馳走様でした」
3月29日(木)
目覚めて枕元の冷たい水がありがたい。
うららかな春の朝は脳ミソも酒浸りでうららか。。。かなあ。
広大な邸宅を散策して春の陽射しを楽しむ、
彼の打ち込んだばかりの椎茸の原木を3本ばかりお土産にいただいて、
つぶ丸のサイクルキャリアにくくり付ける。
ウッドデッキやバーベキューグリルの製作はお手伝いに来るよ。と約束してお別れする。
本日も二日酔いで運転注意日なり、さすがに今夜は休肝日にしよう!ホントだ!
板東太郎・利根川沿いの牧歌的風景を楽しみつつ、ゆったりのんびり道を進める。
さーて今夜はどこに泊まるか、見つけた立ち寄り湯で入浴。ついでにスーパーを発見してお買い物。
頃合いの時間に「道の駅いたこ(潮来)」到着。今夜の停泊地にしよう。
頂いてきたでっかい鮭のカマを電子レンジのグリル機能で焼いてトマトや菜花など野菜もたっぷり、
味噌汁もインスタントだが用意する。
発芽玄米チンご飯と鉄火巻きでホントに『休肝日』の晩ご飯です。
テレビの感度もイマイチなので、3980円で買ったDVDプレーヤーで録画した裕次郎映画の二本立てで夜も更ける。
「しかし、飲まない夜はコーヒーのないクリー○みたいだなあ」が、「明日の晩も会えるじゃないか」
3月30日(金)
道の駅いたこ(潮来)の目覚めは早朝4時半。
飲まぬ休肝日明けはやはり眠れぬ?ということはアルコール依存症?気味か?
「気をつけねばならぬ!」家に戻ってからね(^^;
さて、旅は続く地の果てを目指して(大げさだね)。
道の駅のトイレを目指すとき大型バスが到着した、嫌な予感がしたがしゃがんだ。
バカ小学生どもが一斉にトイレに飛び込んできた気配が大声ではしゃぐ声とともに耳に障る。
「ダイ、大、だい!」先を争いながら隣室のドアがバタバタする。
「うるっさーーーーい!」思わず大声で怒鳴りつけてやった。。。が、効き目は数秒であった。
引率する教師らしき声もするが、こいつらも「がはは!ばばばば!」と茨城弁丸出しで、
「んだっぺ!ええっぺよ!」ワケがわからん家畜にも劣るふるまいのようなのだ、
「ああ!日本人は壊れて崩れている」
数分で静寂を取り戻したトイレの中で独り血圧を上げているオヂさんの悲しみを
オマエらは尻はしないだろう「クソったれ!」
悲しみの曇り空の中を茨城県探訪の旅に出る。
茫洋たる霞ヶ浦を左目に感じながら湖岸を北上する。
まさに農業の本場、天領水戸藩の穀倉地帯だ。
しばらく進むと「道の駅たまつくり(玉造)」風雨強くトイレに行くにも不自由な空模様。
霞ヶ浦も白波が立って観光ボートも休業の看板が出ている。
雨が上がるまで駐車場で一休み、湖畔の桜も二分咲き程度の情けなさ。
「こんな時だってあるさ!」それも旅なのだ。
雨が上がって湖も静寂さを取り戻す、公園の植栽であるボケの花も満開だ。
「こんな風にボケられたらいいね!」

湖畔の土手に茶色の「いい犬」がこちらを向いてしっぽを振っている。
首輪無し、、、捨て犬か、、、躾けも行き届いて立場をわきまえている風情だが、、、
「かわいそうだが、、、達者で暮らせ」と通り過ぎる。
「悲しい眼を俺に見せるな!」一瞬オレは裕次郎になってその場を去ったのだ。
晴れた空がそれはそれで悲しい、道を進めよう。
大洋村で北浦をまたいで鉾田町。ここも悲しい街だ、そんな印象。
スーパーに立ち寄ってアルコールの補充、野菜ジュース、塩分カットのための「カップ焼きそば」調達。
ついでに「イチゴ1パック」も買っておこう。
大洗海岸は何度も来たが「大洗磯崎神社」は参拝していない。寄っていこう。
「二礼二拍手一礼」祀られている神々は多いが取りあえず大国主命?だけに頭を下げる。
太平洋の海岸駐車場で大休止。白い波に青い海、太平洋だねぇ!
カップ焼きそばに乾燥ワカメも入れ、ソースを半分使って塩分0.7gかなあ。
目玉焼きを焼いてノッけして、イチゴも1パック(独りで)いただきます。


大洗から海岸線沿いに南下して今夜お世話になる、鹿嶋市在住のH先輩宅を目指す。
鹿島灘を見渡せるパーキングスペースで一休みしつつ、電話連絡してお宅の最終確認をする。
太平洋の波が打ち寄せる鹿島灘、、、どこまで続くのか? 「銚子だっぺよ!」

約束の刻限15時を大きく外れることなく到着し、近くの大洋村天然温泉のご接待を受けてお宅に戻る。
朝から那珂湊漁港まで出向いてご用意いただいた「初鰹」「マグロ」「ホタテ」の刺身も含めて歓迎していただいた。
さてまた新潟の美酒「久保田」も封を切って奥様ともども飲んで語り、語りつつ飲んで夜が更ける。
あのころの私は30代前半で、先輩は脂ののりきった40代の管理職。
「あの時代があればこそ私の職業人生は充実した結果になったのであります」
歳柄にあった健康談議も交えつつ楽しき芳醇な時は流れて、、、いつしか夢の世界に突入。。。
後半の記憶も曖昧に夜明けは枕元の水もおいしく「ご馳走様でした」(多謝感謝です)
3月31日(土)
朝のコーヒーも香しく、新鮮なイチゴも五臓にしみて別れの時はそれなりにしみじみと、、、
「花ありて熱き時代は過ぎにけりただゆくりなく生きて候」安部龍太郎
と、語る、H先輩に「Hな先輩であって欲しい」そんな想いをどこまでお話しできたか、、、
「青森でお待ちしています、ぜひお越しください」
別れはいつも悲しくそして明日へのきざはしだ、、、
ゆるゆると酔い覚めの脳髄に気合いを入れつつ今日も旅いく、つぶ丸&百合虎。
大洗から水戸に入って千波湖湖畔公園で花見と洒落たつもりが冷たい曇り空。
桜はそれでも七分咲きかなあ、、、青い空と陽射しがあれば「らしいが残念!」


湖畔を半周して再び車上の人となる。
水戸から那珂、常陸太田を越えて国道349号線、この道は走ったことがない道。
「道の駅さとみ(里美)」田園と山村の中間地、桜がそこここに咲いて日本の原風景。
さて昼飯にしようかという気にさせる「蕎麦の郷」という桃太郎旗。
道の駅の蕎麦屋で寒い空きっ腹に「月見蕎麦」を所望する、
減塩中の私を知ってか知らぬか、ばかに薄味の汁。茨城県北部の味はこうなんだっけ?

矢祭から福島県に入って「道の駅はなわ(塙)」
山沿いや河原、農家の庭先に、桜、さくら、サクラ、「いいねぇ!」
「花見旅天気良ければいうことなし」と、ひとりごちる。
棚倉(いい街並み)、石川、須賀川、郡山、磐梯熱海、猪苗代。
小雨曇りの夕景色、煙る風景に猪苗代湖、磐梯山に雪が残る。
いきなり「ドーーン!」と衝撃音!「にゃにゃんだ!って」緊急停車して点検。
足回り、キャンパー・シェル、屋上、・・・異常なし! ???
車内は? 異常なし! 発電機でも飛び出したか? 異常なし!
原因不明で再発車するも「問題なし!」「うーーみゅ!わからん?」
いつしか山道を登っている、「おいおい雪かよ!あたりは雪景色」
猫魔スキー場? れれれ! 雨はいつしか霙から雪混じり。。。
「スタッドレスを履いているからいいんだけどね」
到着した「道の駅裏磐梯」はそこいら中『雪』で、気温0℃、ミゾレそぼ降る夕景色。

3kmほど先の温泉施設「ラビスパ裏磐梯」に出向いて入浴。
出て帰ると雪も治まって「緊急避難で喜多方に逃げる」必要もなさそう、
テレビも映って天気予報も明朝の気温は山でも0度以上はありそうだ。
発電機を運転して「電気温水器」SWオン!凍結防止だけは念のためしておこう。
食事を準備して飲み始める。
メニューは、Sさんに頂いた「おいしい鮭の塩焼き」「ガーリック・オムレツ」「ゴボウのサラダ」「ミニ大根のサラダ」「納豆」「ピーナッツ味噌」&「第3のビール」+「ウイスキー水割り」でしみじみと夜が更けています。

テレビも山なれどきれいに映るが21時のニュース後は、伊藤君子さんのJAZZボーカルでブログを書きつつ飲んでいるところです。
明日は連絡の付いた仙台に在住している昔の仲間宅をどのルートで訪問するか?
明日は明日の風にまかせて「さすらいの旅」としましょうか。
4月1日(日)
旅もいよいよ後半戦の帰り道。
だが、、、早朝、つぶ丸が強い風に揺れている。
外気温は0℃かろうじて雪にはならずミゾレまじりの小雨模様。
周辺の山々は雪景色で、檜原湖も凍結しているようだ。
長居は無用の道の駅裏磐梯に別れを告げルートは来た道を通らずに、喜多方方面に山坂を下り降りる。
山を下って「道の駅喜多の郷」到着8:45。
数台のキャンピングカーが停泊中で、よく見ると温泉が併設されている。
駐車場も広めだし「雪もない」(ここに泊まればよかったんだ)
強風にあおられてふわふわと気をつけながらの旅の道。
遠くの山が茶色に煙って???「黄砂」か?
唐土の公害物質やウィルスが飛来してきているんだろうね、困ったものだ。
山形県に入って「道の駅田沢」から、米沢市。
かの上杉謙信を祀る「上杉神社」には立ち寄らねばなるまい。
(わが家は、武田系なのではあるが、、、、)
なるほど立派なお社で廻るお掘りには桜が植えられているがまだまだ蕾も固く口を閉ざしている。
境内の松の大木が風に枝葉を揺らしながら、まさに「松籟」を聞くのであった。

米沢といえば米沢ラーメン、喜多方では朝なので寄らずに来たが、10時半店は開いているかもしれないと、
神社から眺める先に「米沢ラーメン」幟旗。行ってみよう!
2軒並んだラーメン屋さん、店構えが風情ありそうな左側の暖簾をくぐって「やってます?」
「はい、どーぞ!」「米沢ラーメン一丁」「ラーメン一丁!」
どうやら開店早々、お湯を沸かしているらしく新聞をかなり読んだ頃「お待ちどーさま!」と、ラーメンが登場しました。
